思いを巡らす(近況報告4)
履歴書を書いていると、いつもなにか胸苦しくなる。
経歴を振り返っているうちに、自分が平らな社会の中にもぐりこんでいってしまうようで、暗澹とした気分になる。
公立の農業高校を卒業したのち、農業系の大学に進学し、そこを中退したのちはフリーターを続けていた。サッと言ってしまえば自分の経歴はこの通りであり、それを正直に履歴書に書くのが辛い。そうして、自分がこれまで勤めてきた数々の職場を思い出しては、あれは(株)だったろうか(有)だろうかと思いを巡らし、30分ほどかけて書いたあやふやな紙切れ1枚を持って、またフリーターになりに出掛けるのだ。
一つづつ、また一つづつ、流動的に書く項目が増えてゆく自分の履歴書は、まるで世の若者、最近の若者、その中でも特に堕落したダメな若者を象徴しているようで、履歴書を書くというのは自分で自分に落第を言い渡しているような気になる。
しかし考えてみれば、華やかな経歴とは何だろうか?僕がもしここに、例えば一流大学の名を書きこんだところで、有名企業の名を記したところで、華やかな気持ちになったであろうか。虚空を見つめ、ボーっと物思いにふけったところで、そんな気もしないのは、やはりきっと履歴書を書くという行為自体が虚無的だからだろう。本当に華やかな経歴なんていうものは履歴書など書く必要のない生活なのだ。そんなものを書かずとも、安心して誠実に、正義を持って生きてゆける環境なのだ。そして、その経歴は決して履歴書という紙切れ一枚に収まることはない。どうだ、この紙一枚で僕という人間が計れるか!
義憤のような個人的憤りを壁にぶつけ、僕は立ち上がった。書きあがった履歴書を持って、セブンイレブンにバイトの面接を受けに行くためである。
コンビニの事務所で、オーナーを前にして「えぇ、そうですねぇ」「はいぃ」を連発してきた。まったくもって、自分はダメな若者である。そうしてダメな自分を引きずって、帰宅したそばから缶ビールを呑んでいるのは今現在の僕の姿なのだが、そんなわけで宮崎にて仕事を探しているのである。
昔、うちの祖母が言っていた。
「働かざる者、食うべからず」
部活帰りで、居間にごろ寝している自分を足で軽く小突きながら言い、起こした。
「なんだよ、ばあさんだって働いてねえじゃねえか」
肘をついて上半身だけ起こしながら、自分がそう言い返すと
「あたしは昔にたくさん働いたんだ」
祖母はそう言っていた。
働きたくねえと叫んで若者は仕事に向かう、なんて詩を書いたのはまだ学生の頃だった。
作家になるために、とりあえず当面は生活費をバイトで稼がねばならない。最近は相変わらずの編集作業と並行して、段々宮崎で暮らす準備をしている。卓ちゃんは今、すぐ横でケータイにてユーチューブを見ている。音から察するに「すべらない話」なのだけど、時々笑い声をあげている。それがうるさいので、僕はコビーで音楽を聞きながらこれを書いている。コビーってのは、要するにウォークマンです。ツタヤで1980円で買った、なんてーの?音楽再生機器ですな。
近いうちに、新たなブログを立ち上げようと思っている。もう「徒歩で日本一周」ではないので。
僕は、5年ほど前からブログをしているけれど、初めはここのリンクにもある「さろ坊日記」だ。これは自分のバンドのブログだったが、フリーターを続けながら将来に悶々としたものを抱えた内容のこれが起こりとするならば、「徒歩で日本一周」を承と捉える。そうして今、ブログは転の時期を迎えているんじゃないかと思うのだ。次のブログを転と捉えれば、自然、転のブログの結末は作家になるという目標を達成した時点で終わりとなるのだが、その後、結は作家として、どんな生き方を世の中に残せるかということに繋がってくる。
正直、結の終わりは見えていないが、結は転次第でどうにでもなってしまう。もしかしたら、転がそのまま結になってしまうことがあるかもしれないし、それは分からないのだけど、とりあえずステップを踏んでいこうと思っている今日この頃である。
経歴を振り返っているうちに、自分が平らな社会の中にもぐりこんでいってしまうようで、暗澹とした気分になる。
公立の農業高校を卒業したのち、農業系の大学に進学し、そこを中退したのちはフリーターを続けていた。サッと言ってしまえば自分の経歴はこの通りであり、それを正直に履歴書に書くのが辛い。そうして、自分がこれまで勤めてきた数々の職場を思い出しては、あれは(株)だったろうか(有)だろうかと思いを巡らし、30分ほどかけて書いたあやふやな紙切れ1枚を持って、またフリーターになりに出掛けるのだ。
一つづつ、また一つづつ、流動的に書く項目が増えてゆく自分の履歴書は、まるで世の若者、最近の若者、その中でも特に堕落したダメな若者を象徴しているようで、履歴書を書くというのは自分で自分に落第を言い渡しているような気になる。
しかし考えてみれば、華やかな経歴とは何だろうか?僕がもしここに、例えば一流大学の名を書きこんだところで、有名企業の名を記したところで、華やかな気持ちになったであろうか。虚空を見つめ、ボーっと物思いにふけったところで、そんな気もしないのは、やはりきっと履歴書を書くという行為自体が虚無的だからだろう。本当に華やかな経歴なんていうものは履歴書など書く必要のない生活なのだ。そんなものを書かずとも、安心して誠実に、正義を持って生きてゆける環境なのだ。そして、その経歴は決して履歴書という紙切れ一枚に収まることはない。どうだ、この紙一枚で僕という人間が計れるか!
義憤のような個人的憤りを壁にぶつけ、僕は立ち上がった。書きあがった履歴書を持って、セブンイレブンにバイトの面接を受けに行くためである。
コンビニの事務所で、オーナーを前にして「えぇ、そうですねぇ」「はいぃ」を連発してきた。まったくもって、自分はダメな若者である。そうしてダメな自分を引きずって、帰宅したそばから缶ビールを呑んでいるのは今現在の僕の姿なのだが、そんなわけで宮崎にて仕事を探しているのである。
昔、うちの祖母が言っていた。
「働かざる者、食うべからず」
部活帰りで、居間にごろ寝している自分を足で軽く小突きながら言い、起こした。
「なんだよ、ばあさんだって働いてねえじゃねえか」
肘をついて上半身だけ起こしながら、自分がそう言い返すと
「あたしは昔にたくさん働いたんだ」
祖母はそう言っていた。
働きたくねえと叫んで若者は仕事に向かう、なんて詩を書いたのはまだ学生の頃だった。
作家になるために、とりあえず当面は生活費をバイトで稼がねばならない。最近は相変わらずの編集作業と並行して、段々宮崎で暮らす準備をしている。卓ちゃんは今、すぐ横でケータイにてユーチューブを見ている。音から察するに「すべらない話」なのだけど、時々笑い声をあげている。それがうるさいので、僕はコビーで音楽を聞きながらこれを書いている。コビーってのは、要するにウォークマンです。ツタヤで1980円で買った、なんてーの?音楽再生機器ですな。
近いうちに、新たなブログを立ち上げようと思っている。もう「徒歩で日本一周」ではないので。
僕は、5年ほど前からブログをしているけれど、初めはここのリンクにもある「さろ坊日記」だ。これは自分のバンドのブログだったが、フリーターを続けながら将来に悶々としたものを抱えた内容のこれが起こりとするならば、「徒歩で日本一周」を承と捉える。そうして今、ブログは転の時期を迎えているんじゃないかと思うのだ。次のブログを転と捉えれば、自然、転のブログの結末は作家になるという目標を達成した時点で終わりとなるのだが、その後、結は作家として、どんな生き方を世の中に残せるかということに繋がってくる。
正直、結の終わりは見えていないが、結は転次第でどうにでもなってしまう。もしかしたら、転がそのまま結になってしまうことがあるかもしれないし、それは分からないのだけど、とりあえずステップを踏んでいこうと思っている今日この頃である。






