はじめに
「このブログを全ての風来坊に捧ぐ」
初めて日本一周をしようと思ったのは19の時だった。大学2年の時、高校からの友達である卓(たく)ちゃんと二人で計画を立てた。その一度目の契機が訪れたのは20の時である。二人、ほぼ揃って大学を休学、中退した後、何か夢があることに飢えていた。自分はまだ実家に帰ってきたばかりで求職中だった。
4月から旅に出ようじゃないか、そんな話で計画は進んでいた。ところが、である。自分の意識がほぼ旅へ向かう方向で決まりかけていた時に、落ちたと思っていたバイトの面接に受かってしまった。スーパー店舗内にあるパン屋の仕事である。結局、旅の計画はおじゃんになった。
そして今回、2度目の契機が訪れた。去年の冬に卓ちゃんから連絡をもらった。「来年の3月で今行っている演劇学校を卒業して、4月から日本一周の旅に出ようと思うんだけど、高沢君も来る?」というので、2ヶ月悩んで「行く。」と返事をした。
自分は24になる。旅のことを人に告げると「24、5にもなって。」と散々言われた。この4年間、自分だって少ないなりに築きあげてきたものがある。旅に出る、ということはそれらを手放すことであり、だから少し躊躇した。車を売り、アパートを引き払って、仕事を辞めた。20から続けているバンドには無理を言って長期休暇をもらった。この旅のために貯めた資金が80万。そこから、必要経費を差し引いたものが手持ちの金になる。
3月いっぱいまでお世話になった職場の先輩が、「そうか、お前はホームレスになるんだな。」と言うので、「違いますよ、ホームレスじゃなく旅人・・」と言いかけて言葉を飲みこんだ。それを察したのか、「だから、ホームレスになるんだろ?」と先輩は続けた。「そっか、自分はホームレスになるんですね。」返すと、「なんだ、お前はそんなことにも気付いてなかったのか!」と笑われた。確かに、旅人とは体のいいホームレスである。「そっかあ、自分はホームレスになるんかあ。」と呟いてみたが他人事のようで実感がわかない。逆になんだかその空々しさが楽しくてニンマリと薄ら笑いを浮かべてしまった。「何笑ってんだよ!」と怒られた。
けれど、自分の旅への欲望は収まらない。人は「若いうちはやりたいことをやれ。」と言うが、自分は年をとってもやりたいことをやって生きたい。松尾芭蕉「奥の細道」の(道祖神のまねきにあひて)という一文が好きで、よく口にする。片雲の風に誘われて漂泊の思いやまず、取るもの手につかなくなった自分は旅に出ることを決めた。面八句をアパートの柱に懸置こうと思ったが、敷金が返ってこなくなるのでやめておいた。代わりにこのブログに書き留めていこうと思う。
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