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239日目 アポロGO!アポロ

20071201083543
どうしてもアポロを口の中で分けてしまいます。イチゴチョコの部分とチョコの部分をです。気づいたら、いつもそうなのです。無意識の内に必ず割ってます。
奥歯で。
前歯で。
そうして思うのです。
はっ、何をやってるんだ俺は。また、アポロを二つに分けてるじゃないか。
この前、同僚とゲームセンターに行きましたら、とあるゲーム機にて、100円でアポロが12箱取れました。タワーが崩れたのです。快感でした。ただ、漠然と快感でした。
取り出し口から取り出せないほどのアポロ。私はそのアポロを5箱くらいわし掴みにして、腕を上げました。あの瞬間、私はロッキーでした。
まだ部屋にアポロが8箱あります。食べても食べてもなくならないアポロに私は感無量です。アポロを13箱集めると、月に行けるという噂は本当でしょうか。惜しい、私はあと1箱だったのです。
今日もアポロ、明日もアポロ。アポロに囲まれて、アポロに染まって。夕焼けアポロ、朝焼けアポロ。日本海にばらまきたい。
これは観賞用アポロ、こっちは保存食用アポロ。アポロを愛し、アポロを呪った、小さな男の物語です。
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240日目 前科

以前、自分のバイトしているコンビニで店の売り上げを持って消えた店員の話をここに書いたが、その人が捕まったそうである。岐阜で。新聞に小さな記事が載っている、と今日一緒に仕事をしていた同級生の人が教えてくれた。
日本の警察の検挙率は90何%だったか、大したものである。罪名が何で、どのくらいの刑を受けるのか自分は知らないが、これで前科がつく。前科者の就職率は何%だろう。立ち直るには、辛く厳しい道のりだろう。数十万で、その道を選んだ男。
けれど、前科があっても大成している人はある。ビートたけしだってそうだ。やり方次第。足かせで筋トレ。いいじゃない。こいよこいよ、もっともっと!全てをエネルギーに変える強靭なエンジン、そのピストン運動。それをあんたの心につんでやる。どこかで出会ったら、酒を一杯おごるから飲みましょう。
「踊る大捜査線」というドラマの中で、織田裕二扮する青島刑事が
「事件に大きい小さいも関係ない」
と言っていたが、その言葉が真実なら、自分は一体、前科何犯だろう。生まれてから、ただの一度たりとも、人の物を盗んだり、人を傷付けたりしなかった人がいるのだろうか。拳で傷つけ、言葉で傷つけ、何かを嘲笑い、人の幸せを妬む。これら全ての罪に対して、何の裁きも受けなかったのだとしたら、それはただ運がいいだけである。罪人は自分自身だ。気づくのも自分自身で、立ち直るのも自分自身だ。

241日目 設計

20071203152711
もう、12月の2日である。早いなあ。門松は冥土の旅の一里塚、って縁起悪いけど、こうやって自分の寿命が、どんどん減っていく。
この前、職場で同僚が自分の寿命を携帯電話のサイトで占ってくれたんだけど、それによると自分の寿命はあと36年だそうである。なんとも適当なサイトであるが、自分は深く納得した。というのは、自分も自分自身の寿命は一応60で設定していたからである。
寿命の設定って、お前なめとんのかい、と思われる方もおられるかも知れないが、ちょっと聞いて頂きたい。
うちの親父が、
「今、日本の年寄りが80年も生きられるのは、若い頃に質素な食事をしていたからだ」
と話していたことがある。これに自分はうなづいた。戦後、豊かな食生活を送ってきた人間が、それ以上に生きられるとは思わない。医療の発展はいざ知らず、もう少ししたら、日本人の平均寿命は下がってくるのではないか。自分らの世代は80年生きれば大往生という時代になるかも知れぬ。食生活というのは深く生命に関係していて、好きな物を好きなだけ食べて育てば、それ相応の寿命にもなるだろう。
そこで、自分は自分の寿命をついこの前60年と設定したのである。
あと36年、何をしようかという話である。今日が全て、という言葉もあるが、それはやはり、この36年を踏まえた上での言葉であると思う。だから、これは考えておかなければいけない。
この旅に出てくる前、自分は自己の年表を書いてみた。今まで、その歳の時に主だったことは何をやったか、そして今後、20代後半、30代、何をやっていくか。その年表が今手元にないので確かなことは言えないが、多分25、6で旅から帰る、28で何々をやると書き連ね、それが32で止まっていたと思う。旅に出る前は、どうしてもこの先が書けなかったのだ。
この旅の中で、その先を見据えること、それがこの旅における一つの目標なのかもしれない。
やれてんのか、自分。一人でいると色々なことを考える。つい甘い妄想にやられそうになる。セスナの免許が欲しいなあ、とか、馬を飼いたいなあ、とか本筋から離れたところに思いが行き着く。ジブリ映画「紅の豚」のマルコに憧れて、
「飛べねぇフリーターは、ただのフリーターだ」
と部屋で一人、息巻いている。あかんなあ。

242日目 映画

古い映画が観たい。今観たい古い映画は、自分が幼少の頃のものだけど
「マリリンに逢いたい」
「カンフーキッド」
「僕らの七日間戦争」
この3つである。
どれもヒット作だったと思うので、ご存知の方も多いと思う。全て20年近く前の作品である。
子供の頃に観た映画は、斬新な光景のまま、自分の記憶の中に残っている。もしかしたら今観てもつまらなく感じてしまうかもしれない。観てみたいが、観たくないような、そんな気持ち。まあ、レンタルビデオ屋に行っても置いてないかもしれんし。
ところで、そういえば自分の部屋にはビデオデッキがない。相変わらず、家電と言えば、テレビ、冷蔵庫、エアコンの3つだけで、掃除をする時はホウキと雑巾である。昭和かっ。クイックルワイパーとか欲しいわい、わしだって。
テレビの画面を指でなぞって、ぬう、ほこりが溜っとる・・。
きえぇぇぇい!
叫びながらティッシュで拭きあげて満足。で、ローリングストーンズのサティスファクションを歌ってる。
サティスファクショーン!!!

243日目 紅葉

工場の社内バスに乗って職場に向かう時、職場から帰る時、いつも工場脇の小山が目に入る。小山と言っても標高200、300m位はありそうな山なのだが、住宅地に囲まれてポツンとある、なんだか人工的なにおいのする山で、特撮にでも出てきそうだから自分はジオラマ山と名付けて、いつも車窓からボーッと眺めている。
そのジオラマ山が最近、紅葉しているのに気づいた。いつも眺めていたのに不思議なものである。緑から赤や黄に変わっていく、その色彩の変化に今日まで気づかなかったのだ。いきなり赤くなったわけでなし、何で気づかなかったのだろう。心をどこかになくしていたのだろうか。山は多種の赤に被われ美しかった。
心を亡くす。これを一つの漢字にすると「忙」であり、だから自分は「あー忙しい、忙しい」なんて言うと、まるで「自分は今、心を亡くしてるんですよー、心が死んでるんですよー」と言っているようで、あまりこの言葉を使いたくないのだが、確かにここ最近は忙しかった気がする。
だが、忙しいのに退屈でもあった。おかしなものだ。忙しいのに退屈なんてことがあるか、と思われるかも知れないが、事実、自分の心は退屈なのである。満足とか、充実というのは、とにかく体を動かせば得られる、というものではないらしい。心を動かさなければ駄目なのだろう。
セカセカと動き回りながら、ああ退屈だなあと思う時、自分の頭に思い浮かぶのは、来年旅の続きに出ている自分だったり、音楽をやっている自分だったりで、だから自分はそういう思いに対して正直に生きていきたいと思っている。
紅葉が目に入らなかったというのは、考えてみれば恐ろしいことである。美しきものを心に映さぬ瞳に生気は漂っていたろうか。生きた死人にはなりたくない。

244日目 おもろいおいちゃん

コンビニバイトで、おでん什器を洗っていると、一緒に仕事に入ったおいちゃんが、
「熱帯魚がな」
と話しかけてきた。この前、熱帯魚の話をしたおいちゃんである。また、1860万の話のおいちゃんでもある。
シンクに向かって、什器を洗っていた自分は顔をおいちゃんの方に向けることなく
「はい」
と返事して、次の言葉を待った。
「30匹死んだ」
おいちゃんの言葉に自分は、洗い物をしていた手を止め
「ぶははははっ!」
と爆笑した。
唐突に何を言うのかと思ったら、おっちゃんの飼っていた熱帯魚が、40匹位いる中の30匹ほど死んだらしい。
「何が原因です?」
と聞くと、
「死骸を放っておいたから、ばい菌が出たのかなあ」
と深刻な表情で言うので、冗談なのか本気なのか分からず、更に笑った。
水が緑色になっていた、と言う。
「飼い始めて、どれくらいです?」
と聞くと、まだ1ヶ月だと話した。話しながら、チラとおいちゃんのズボンを見ると、ズボンのチャックが全開である。パックリと菱形に開いている。確か、前回一緒に仕事をした時も全開だった。もう笑いっぱなしである。
更に目を下にやると、おいちゃんの靴。スニーカーなのだが、まるでサンダルのように両足とも、つま先部分がバックリ開いている。何もかもデタラメだ。
「それ、まるでサンダルじゃないっすか」
と言うと
「そうなんよ」
と、おいちゃんは笑った。
あまりにおかしいので、仕事をしながら、ずっと笑っていると、おいちゃんは
「何がそんなにおかしい?」
と聞いてきた。
「笑いすぎよ」
「いや、だって、クックッ」
「残った13匹でやり直さんとなあ」
「ククッ、ブブッ」
「次はエビ入れようと思うんよ」
「エビですか」
「ああ、死骸を食ってくれるんよ」
「ブブブッ」
「わし、あの群れになって泳ぐ奴が飼いたくてねえ」「ネオンテトラですか」
「そうそう!でも、あれ1匹150円とかするんよ」
「そうなんですか」
「今のは1匹30円だったんよ」
「ブーッ」
「高村くん、ヤフーパックの袋はどこかね」
もう、ずっとこんな感じで、自分は腹が痛い。
帰り際、夜勤で朝まで勤務のおいちゃんに別れを告げ、先に上がろうとすると、
「それ、泥棒じゃない?!」
とおいちゃんは自分の恰好を見て言った。自分の私服が泥棒っぽいそうだ。
「泥棒ファッションが流行りなんですよ」
と返すと、おいちゃんは
「君だけよ!」
と言ってハッハと笑った。自分もヒャヒャと笑って、お疲れさまでーす、と言い、店を後にした。
毎週水曜日にこのおいちゃんと仕事に入る。

245日目 ヘッドホン

さだまさしの「風に立つライオン」が聴きたい。ブルーハーツの「夜の盗賊団」、いや、ダグアウトをフルリピートで聴きたい。凹を聴きたい。たまを聴きたい。RCを聴きたい。スローバラードを聴きたい。CHARAを聴きたい。徳永を聴きたい。マニヨンズ聴きたい。聴きたい聴きたい。中島みゆき、マーシー、ハイロウズ、CDラックの上に聴きたいCDを積み上げて、デッキに順々ぶちこんで、爆音で聴きたい。
もしも、無人島に何か一つ物を持っていくなら、トランクスもいらない、絶対壊れないiPod1万ギガバイトに好きな曲をフルに詰め込んで持っていく。
音楽、最高だっ!

246日目 ファンレター(上)

9日に「どうぶつ奇想天外!」というTV番組で、自分の出身高校の特集をやるらしい。僕らの夢が走る、みたいな見出しでCMをしていた。変わった高校なので、よくTV取材が来るのだが、ついこの前も「学校へ行こう」という番組でやっていたようだ。人生時計の話をしてくれた先生も出るだろう。自分は仕事で見られないのだが、興味のある方は是非見て欲しい。
それで思い出したのだが、自分も高校在学中に新聞、雑誌の取材を受けたことがあり、その中に、今は廃刊になってしまったのだが、朝日新聞社系列から発刊されていた「アサヒグラフ」という雑誌があった。やはり、僕らの夢が走る、というような見出しで特集されたその記事を見た時、自分は自分が記事になるということの初めての感動を覚えた。
後日、自分ともう一人の仲間宛に出版社から手紙が届いた。その封筒の中には、もう一通の手紙が同封されており、便箋に、自分らを取材してくれた記者さんの字でこんなことが書かれてあった。
「雑誌を読んだ読者の方からこちらの方に手紙が届きましたので送らせて頂きます」
ファンレター、ということになるのだろうか。自分らの記事を読んだ人が、その記事の中にあった自分と仲間の名前宛で出版社に手紙を送ってよこしたのだという。
どんな人だろうな。同い年くらいの人だろうか。女の子だったらいいな。なんて、心ときめいて、スケベ心で封筒の中にあった手紙を取り出すと、それは80歳になる男性からの手紙であった。

247日目 ギター

20071209105009
バイトに向かう途中、ユニクロのフリースジャケットに両手を突っ込んで、首を縮めて、うつむき加減に歩いていると、道端の陶器屋だか喫茶店だか、雑貨屋だか分からない店で、フリーマーケットが行われているのを見つけた。小さな小さなフリーマーケットである。
その中に、ポツンと黒いギターのソフトケースが立てかけてあるのが遠目に見えて、なんとなしにそれを見ていた自分は、次第にそれが欲しくなってきた。何故だろう。ギターが欲しい。カッコイイのが欲しい。自分はギターを弾けないが、とにかく欲しくなってきた。
多分、小学生がクワガタやカブトムシを無性に欲しがるのと一緒である。かっけぇ!欲っしい!自分のものにしてぇ!みたいな、本能からくる感情。飼い方が分からなくても欲しいように、弾き方が分からなくても欲しくなる。どんなギターなのか、その中身が気になった。とりあえずバイトに向かったけど、バイト中もそのギターケースが頭に浮かんで、「売れてなければいいな」なんて思いながら、帰りに寄っていくことを楽しみに仕事をした。
バイト帰り、真っ直ぐその店に向かい、まだ立てかけられていたそのギターを見ると、ホッとした。しかし、さて、中身は一体どんなものだろう。思いながら、近づいてよく見ると、ソフトケースにFenderという文字がある。白紙に1000円と書かれた値札が無造作にセロテープで貼られていた。
Fenderというのは、ギターやベースで有名な楽器類のメーカーである。自分はギターをよく知らないけど、Fenderくらいは知っている。楽器屋などに行くと、10万、20万もするこのメーカーのギターが飾られているのだ。
まっさかなぁ、ケースだけだろう、と震える手でチャックを開けると、出てきたのは、紛れもなくFenderのストラトキャスターである。しかも、自分の好きな黒×白というシンプルなカラーリング。
ゾクッとして、今度は体も震えた。頭の中がほんのちょっぴり白くなり、すぐにチャックを閉めた自分は立ち上がって、店の戸を開け、中にいた女性店主に
「あの・・外のギター・・・・・・ください」
と言った。
今、家に帰ってきて、これからある工場の夜勤の前に少しでも寝なければいけないのだけど、興奮して眠れない。ギターはサビや汚れもなく、ほんの少しぶつけたキズがある程度の新品に近い良品であった。
店主曰く、
「知り合いが引っ越しをしたんだけど、その息子さんのものらしくて、いらないからと貰ったの。私はよくギターを知らないんだけど、いいのコレ?大丈夫?壊れてないかしら」
とのこと。
全く同じではないだろうが、自分の好きな真島昌利というミュージシャンが、このストラトキャスターの黒を使っている。
さっきから、そのギターと携帯の画面を交互に見つめながら、これを書いているのだが、いやぁ、カッコイイなあ。
チューナーがないからドもレもミも出せないけど、これで自分の弾けないギターが実家にあるものと合わせて4棹になった。実際問題、使い道はない。

248日目 ファンレター(下)

「拝啓
お二人の記事を拝見させて頂きました。お二人が夢を持ち活動しているとの内容に強く心打たれました。実は私も以前に馬の世話をしていたことがあり、戦時中でありましたが、当時は各地に軍馬を世話する駅があり、私も一時期そこで軍馬の世話をしておりました。毎日毎日、やってきては去っていく馬を見ていたのです。北海道はお寒いでしょうが、体を壊さぬよう、お二人の活躍を心よりお祈りしています」
正確な文面は思い出せないが、こんな感じの内容であったと思う。自分は仲間と二人でこれを読み、そして喜んだ。自分達のしていることが誰かの心を打ち、応援してくれているということがありがたかった。
しかし、この一件に関して、自分は今でも後悔していることがある。
この手紙に対しての返事を書かなかったのだ。何て書いたらいいものか分からなかったのだが、ありがとうございます、の一言でも書いて出せばよかったと、今思い出しても申し訳なくなる。
書こう書こうと思い、後回しにする内に自分は卒業の季節を迎え、寮を出るための荷物整理をしている中で、その手紙もどこかにまぎれこんでしまったのか、なくしてしまった。
この手紙の男性は今でも元気だろうか。今までの人生の中で唯一のファンレターである。向こうはきっと返事を待っていたことだろう。
あの頃思い浮かべていた夢は、今はもう自分の中にない。ただ、高校卒業後、夢を失い、ふぬけた時期があった自分は、その時、雨の降る夜に一人母校を訪ね、校内の放牧地を前にして嗚咽した。馬と共に過ごした放牧地であった。高校生であった自分に笑われている気がしたのだ。久しぶりに会った馬にも笑われている気がした。
自分は自分の人生の中で最も輝いていた時の自分に負けたくない。今は、高校の時の自分に負けないくらい力強く生きていけてると思う。あの手紙の返事も今ならスラスラ書ける気がするのだ。

249日目 時計

腕時計やら掛け時計、置き時計も何かの景品のような時計も、広告に載っている時、新品で箱に入っているものを開けた時、同じ位置で針が止まっている。
10時8分。
デジタルはどうだったか忘れたが、アナログのものは、どれも10時8分、もしくは9分で針が止まっている。嘘だと思ったら、本日の朝刊の折り込みチラシで確認してほしい。雑誌の広告で確認してほしい。ホームセンターで確認してほしい。
あやふやな情報になるが、時計に関する何かの会の取り決めなのである。時計の展示をする時は、針を10時8分に合わせること。
何故10時8分かと言うと、針が下に垂れていてはヨロシクない、というのが第一にあって、ほどよい上向きの10時くらいがいいんじゃなかろうか、と、こうなった訳らしいのだけど、自分なんか
「なら、なんで分針が8分なんだ、中途半端じゃないか」
と思ってしまうのだが、これはバランスらしい。お気づきの方もいらっしゃるかもしれないが、分針が10分進むと、時針は10時から11時にかけて、6分の1ほど進む。つまりこの微差を考慮した上での針が左右対照になる時刻が10時8分から9分にかけてなのである。
これをどこで知ったのかというと、多分何かの本で読んだのだったと思うが、今日、工場で仕事しながら思ったことがある。
もしかして時計工場には、この、商品となる時計の針を出荷前に10時8分に合わせる仕事、その係、部署が存在するんじゃないか、と。
うおお、やりてぇ、その仕事!と自分は興奮した。ラインに乗って、ひたすら流れてくる時計を10時8分に合わせる。
モワモワッと自分の頭の中に妄想が頭をもたげ、時計工場の社員の会話が始まる。
「今日、いくつよ」
「俺?800本」
「マジかぁ、俺900よ」
「あぁ、分針は長いから破損多いもんな。加工大変だし」
「いや、でも秒針とこよりいいよ。俺、秒針だけはやりたくないね。すぐ折れるもん」
「だよなぁ。あーあ、十八行きてえなあ。あそこはホント楽だよなあ」
十八、じゅっぱちとは、10時8分課の略称である。そこは、ウォークマンを聴き、鼻歌を唄いながら仕事できる、時針製造課や分針製造課の憧れの職場なのである。
いいなぁ、十八。
先日、コンビニの夜勤に新しいバイトの人が入ってきて、その人は39歳の男性なんだけど、自分が
「昼間は何をされてるんですか?」
と聞いたところ
「仏壇作ってます」
とのことで、ハハ、世の中には面白そうな仕事がたくさんある。

250日目 力

20071215021855
この一週間で、何時間寝たろうか。10時間か。10時間は寝たろうか。ここ数ヶ月で何時間寝たろうか。休日もなく、1日3時間も寝れない日が続いた。弱音を吐くのが嫌で、ちゃらんぽらんな部分だけ人に見せていたくて、弱さは心の底に隠しておき、人の目に触れぬよう、人に感づかれぬよう、こっそり押さえつけていたのだけど、駄目だ、飛び出す。飛び出しますよ私は。いいですか?

疲れた。

寝たいなあ。5時間でいい。まとまった睡眠が欲しい。
毎日毎日、職場で立ち仕事をしながら、立ったままウトウトしてしまい、あんまり酷いものだから、上司が見かねて、「明日は期待してるぞ」と言い、肩をポンと叩かれた。次やったらクビという意味にとれる。バイト帰りに、薬局で一番強い眠気覚ましの薬とブラックブラックタブレットを買いこんで職場に向かった。
稼ぐというのは大変だ。3つのバイトを掛け持ちするということを初めてしたが、それぞれの職場で、他の仕事を言い訳に出来ず、ちゃんと周りの人間と同じ分の仕事をしなければいけない。昨日から25分しか寝ておらんのですよ、と言い訳したくなるが、じゃあどっちか辞めろよ、と言われればそれまでで、そうなると稼げない。どうしても職場でボーッとしてしまい、「責任感がない」なんて周りから侮られ、自分はものすごく悔しいのだけど、何も言い返せない。余力を振り絞ってヘラヘラするばかりである。
けれど、何も言わなくても、分かってくれる人もいる。そういう人の存在がありがたい。別に何も会話はないのだけど、自分を見る目が温かい。自惚れながらも、きっと今まで苦労をしてきた人なのだろう、と思う。
予定では、全ての仕事を3月一杯で切り上げる。あと3ヶ月ちょい。ここまでがそうだったように、恐らくあっちゅう間だろう。
そんな中、友達からのCDが届いた。
自分はこんな状況ということもあって、そのCDを心待ちにしていたんだけど、よかった。本当によかった。何かが自分の心に染み込んでいくのを感じ、生活の中で吐き出せない思いが、その歌の前でまるで素直に流れていった。ありがとう。あなたの歌が力になる。本気で歌ってくれてありがとう。それを一番伝えたい。

251日目 運

そういえば、職場で本当にクビになった人がいる。違う班の人だけど、遅刻と欠勤がひどいのでクビにされたらしい。クビ、と言っても派遣社員なので、また違う職場に回されるだけである。
「あいつは女が出来てから変わったんだよ」
と上司が言っていた。
それまでは真面目だったらしい。ところが彼女が出来てから、ポツポツと仕事に遅刻してくるようになり、それが毎週になって、やがて欠勤も出始めた。
アゲマン、サゲマンなんて言葉がある。女性にとっては不愉快な言葉かも知れないが、男の運気を上げる女と、下げる女の意の陰語である。
男性にとって女性とは、大きく運命を左右する存在だ。もちろん、それは女性にも言えていることかも知れないが、きっと女性のそれよりも、男性のそれの方が振り幅が大きいんじゃなかろうか。なんとなく、そう思う。クビになった彼は彼で悪いのだろうが、付き合った女性もまた、彼を骨抜きにしてしまったのだろう。
時期を同じくして、隣の部屋に住んでいた競馬好きの人も仕事を辞めた。故郷に帰って飲み屋を始めるのだという。
運が逃げていく。そう感じた。自分は、この人が隣の部屋にいたから、今年の有馬記念は当たるような気がしていた。別に買い目を聞くわけでないが、そんな予感がしていたのだ。運とは、勝利の女神とは、そんなものである。その人が隣の部屋にいないもう、有馬が当たる気しない。残念だ。

252日目 土壇場

目の前を走っていく人があり、更にその人を追うようにして走っていく人がもう一人。
先を走る人は危機迫る形相で
「助けてくれ、殺される」
と叫んでいる。
一方、後ろを走る人は
「捕まえてくれ、泥棒だ」
と、これまた必死の形相で叫ぶ。
自分はどちらの人間にも食っていける場所におり、周りに人はおらず、どうやら二人の叫びも自分に向けられたもののようである。
例えば、そんな状況の中で、自分はどんな行動をとるか、あなたはどんな行動をとるか。
傍観するしかないだろう。どっちが正しいのか分からない。どっちを止めればいいのか分からない。一瞬の躊躇で、あっという間に二人は遠くへ消えていく。その一瞬で何を判断し、どうするべきなのか、自分にはさっぱり見当がつかない。
そんな場面が実際にあるかどうかでなく、誰にとっても解決のしようがない、手の施しようがない現実というのはあるものだ。
けれど、傍観がベストな選択ってことがあるだろうか。そこが疑問で、自分は上記の問題の中で大きくつっかかっている。
何か方法があるんじゃなかろうか。一瞬の内に行動に移せる閃きのような感性が。それを身につける方法が。

253日目 入れ忘れ

コンビニのレジをしていると、時々、商品の入れ忘れという失敗を犯す。
カゴにたくさん入った品物をレジでピッピコピッピコやるんだけど、弁当などがある場合は、先に打って、
「こちら、温めますか?」
なんて聞く。で、電子レンジで弁当、仮にこれを大盛ナポリタンスパゲッティにしておこう、その大盛ナポリタンスパゲッティを温めるんだけど、残った他の商品を打っている内に、つい電子レンジのことを忘れてしまい、会計を済ませ
「ありがとうございました」
と言ってしまう。
お客さんの方も、案外忘れてしまうらしく、もしくはもう袋に入っているものと勘違いして去っていく。
お客さんが去った後で、なんだか電子レンジがピッピッと鳴るので、開けてみると中に大盛ナポリタンスパゲッティが入っている。
そんな時は、あ、いけね!なんて独りごちて、お客さんを追っかけるのだけど、人間、帰る時って何故あんなに早いのか。忍者の如くフェイドアウトしていて、見当たらない。
問題はこの後で、ここからは人それぞれ反応が違うんだけど
「すいません、さっきスパゲッティを忘れちゃったみたいなんですけど」
と戻ってくるお客さんもあれば、電話で
「おおおどれぇぇこらぁぁぁ袋ん中にスパゲッティが入っとらんやんけぇぇぇどおしてくれんじゃぁぁぁボケェェェ」
とおっしゃるお客さんもあり、どちらにしろ平謝りするしかない。
実は今日も仲間とレジを打ちながら、そんな入れ忘れの失敗があり、気づいた瞬間に自分は温まった白飯を持って、店を飛び出たのだけど、お客さんの姿が見当たらない。と思ったら、すでに国道の横断歩道を渡り終え、反対側の歩道をテクテク歩いていたので、
「お客さぁぁぁん!」
と叫んで、センターラインをハードルのように飛び越えて、駆け寄った。お客さんもびっくりしたのか
「ああ、 ああ、ごめんなさい」
と言い、受け取ったが、気持ちよかったなあ、自分がまるで風になったようで。

254日目 禁煙

職場に喫煙者が多い。休憩時間にいつもタバコを吸う喫煙コーナーで、入り口に禁煙マラソンシートなる表が張り出されていたが、誰も参加しない。いつの間にか剥がされてしまっていた。
何かの機会にタバコを辞めよう、という人が増えている。例えば、タバコの値上げや禁煙デーといった、何かのきっかけでタバコとサヨナラをする。ということは、裏を返せば、普段から心のどこかにタバコを辞めようという気持ちがある人が実はかなりいる、ということが言えると思う。辞めたいんだけど、辞められない。それがタバコ。だから、禁煙に成功した人というのは周りから誉められる。
以前、TVのドキュメンタリー番組で麻薬や覚醒剤中毒患者の更生施設を追って放送していたことがあって、その中で一人の若い男性がポツリポツリ語っていた言葉が印象に残っている。
麻薬を辞める時に何が一番辛いか、というような話をしていて、その男性はこう語っていた。
「周りの人が認めてくれないのが辛いんですよ。僕ら、中毒患者というのは麻薬を断つというのが本当に大変なんです。でも、世の中に出たら麻薬なんてやってないのが当然で、僕らが麻薬をやらなくても、誰も誉めてくれない。それが一番辛いんです。だから、またやりたくなっちゃう」
考えさせられるものがあった。麻薬に限らず、そういうことってあるよな、と思う。自分の努力が人に認められない、というのはとても辛いことだ。
それを考えていて、ひょっとしたら禁煙成功のカギというのもここにあるんじゃないかな、と思った。「本人の意志+周りの支え」である。
というわけで、あなたの周りで禁煙を始めた方がいましたら、そっと応援してあげて下さい。決して、目の前でさもうまそうにタバコを吸ったり、煙を吹きかけたり、
「どお?一本」
なんて勧めたりしないようにしましょう。特に酒の席では。

255日目 メンバー募集

ホウキギターにスコップベース、バケツドラムにハンマーマイク。いくぜ、土方ロックンロール!俺達がザ・ドカターズだぁぁぁ!!
奇抜なライブパフォーマンスで噂が噂を呼び、今やドカターズの人気は絶頂。社会ではドカターズ現象なる社会現象が起こり、街の若者はこぞってワークマンに出掛けていく。安全ヘルメットが品切れになり、予約は1ヶ月先まで一杯。メンバーそれぞれがかぶっている白、青、赤、黄のヘルメットのバッタもんが街に氾濫し、JISマークのない安全ヘルメットまで出回る始末。安全じゃないじゃん、それって。なんて。
そんな中、それまでインディーズでやってきたザ・ドカターズがメジャーデビューすることになり、メジャー第一弾シングルの発売も決定。タイトルは「軽油」。動きのあるベースにストレートなギター、まさに王道ロックとも言うべきサウンドに若者は酔いしれ、売り上げはダブルミリオンセラーを達成。海外での発売も決定した。
そして、そのライブ会場。観客の汗が蒸気になって充満するライブ会場。これ以上ない熱気の中、ドカターズのボーカルがマイクを両手で握りしめて喋り出す。
「今日はホントにみんなどうもありがとう。聴いてください、軽油」
シンバルの4カウントから曲は始まり、観客はワーッとなって、少しでも前へと詰め寄る。最前列でぎゅうぎゅう詰めになりながらも目を離そうとしない人々を見るともなく、ボーカルが歌い出した。
「くたばれハイオクーッ!!」

その「くたばれハイオクーッ!!」が、仕事中、思わず口から飛び出して、自分は少し恥ずかしかった。工場の職場で一人黙々と作業をしていると、すぐ妄想に興奮する。全くバカなことばかり考えてるな自分は、と思う。

256日目 タコ

このブログの中で、自分の好物がタコだということを何度か書いたことがあるが、タコ好きが高じて、旅に出る前に一人で海へタコを釣りに行ったことがあった。釣ったその場で食べようと考えたのである。2杯釣れれば1杯は家に持ち帰って飼おうと考えていた。
それで休日、職場の先輩に教わった茨城の大洗海岸というところまで、5、6時間かけて車を飛ばし、有料の釣り場に入ったのであるが・・。
自分はその日のために用意したタコ釣り道具、これは「タコてんや」という仕掛け針なのだけど、それをおもむろに車から取り出して、タコ釣り態勢に入った。方法としては、このタコてんやにそこら辺で捕まえたカニをくっつけて、海へ投げこみ、タコがカニに食い付いてきたら、すかさずてんやに結ばれたタコ糸を手でたぐり寄せるというものである。
自分の他にも客はチラホラいたが、自分以外にタコを釣ろうとしている人は誰もいない。タコは岩場にいる、と先輩から聞いていたので、岩場に向かってテトラポッドの上に立ち、まあ、最初は小手調べと、カニをつけた仕掛け針を海に向かって投げた、その時である。
自分は自分がこれほどバカだと思ったことも、そうそうない。タコてんやに繋がったタコ糸をほどき忘れていたのである。タコてんやを海に向かって投げた場合、自分とタコてんやの間には十数mの距離が出来るのだが、その分の糸をほどき忘れていた。道具が新品だったためにタコ糸は筒にグルグル巻きにされた状態にあり、右手に持ったタコてんやを海に投げた瞬間、左手に持っていたその筒が引っ張られて手からスポッと抜けたのだった。タコてんやはタコ糸と一緒に目の前の空を飛び、十数m先の海の中へチャボンという音をたてて着水、沈んだ。自分の手元には何も残っていない。しばらく、呆然とその場に立ち尽くし、俺って阿呆だなあ、としみじみ思った。
まあ、幸い、自分はリールのついた普通の釣りざおも持ってきていたので、それに針金の重りをつけて海に飛ばし、海面に浮かんでいたタコ糸の部分に引っかけてなんとか取り戻したのだけど、その日、結局タコは釣れなかった。
最近、タコ刺しを食べていないので、久しぶりに食べたいなあ、と思う。

257日目 宝くじ

工場の職場での忘年会があった。先日、自分は一体いくつの忘年会に出るのか、とここに書いたが、中止になったり、仕事で行けなかったりと、結局、出席することになったのは今日の忘年会だけである。しこたま飲んできた。
その会場に向かう途中、駅前のタバコ屋で宝くじを売っていたので、自分は年末ジャンボ宝くじを1枚買った。ギャンブル締めの話で書き忘れたが、この宝くじもギャンブルの一つとして、自分は毎年、年末ジャンボ宝くじを購入している。毎年、1枚こっきりだけであるが。
宝くじを買い始めたのは、小学生の時であったと思う。昔のことなので責められても困るのだが、親に貰った月の小遣いで、黙ってスピードクジを買っていた覚えがある。1枚200円だったか、今でいうスクラッチくじというやつで、銀色の部分をコインで削るものである。
高校の頃に、お年玉か何かでまとめて100枚くらい買ったことがあり、それが3千円位にしかならず、その3千円でまた買って、300円位にしかならず、またまたそれで1枚買って、外れ、ついに残った100円で駄菓子か何かを買った、なんてことがあり、これに懲りて、それ以来あまり宝くじは買わなくなった。
しかし、今でもスーパーなどで宝くじ売り場の前を通るとウズくものがあり、ナンバーズなんかを買ったりする。一度、買うつもりもなかった宝くじ売り場の前で、床屋帰りに自転車をこいでいて頭にバシッと、10、20、30という数字が浮かんだので、その数字を組み込んで試しに3通りほどロト6を買ったら、これが見事に10、20、30、全て入っていて、ビックリしたことがある。
自分で言うのもなんだが、自分は直感が鋭いと思う。競艇場なんかに出掛けても、なんとなく今日自分が勝つか負けるか分かるのだ。
じゃあ、旅の間はなんで全敗なんだ、とおっしゃる方もおられよう。あれはほら、ちょっと磁場の関係で直感が狂ったっていうか・・。それが証拠に、今年のギャンブル収支は旅に出る前の1月から3月までの間で2、30万勝っていたので、まだ+なのである。
しかし、この勝ちの直感というのは殆ど得ることがなく、大抵は「あ、今日負けるな」という感じなのだが、それならやらなければいいと思われるかもしれない。
駄目なのである。そういう時は、買わないとくるのだ。
買ってハズすよりも、買わずに当たっていた、という方が悔しいので、結局負けることになる。これがギャンブルの恐ろしいところである。
だが、対処法がないわけではない。そんな時は賭けのレートを下げて、その場をしのぐ。つまり、負けを最小限に抑えるのである。その不運をうまくやり過ごせば、いつか勝ちがくるのだ。

258日目 とんかつ

バイト先のコンビニで一緒に仕事をしているおっちゃんが、またこの人もギャンブル好きで、最近パチンコで勝ちまくってるからと、店長夫妻、自分ともう一人のバイトの子を引き連れて、とんかつ屋へ連れて行ってくれた。久しぶりにこんなうまいものを食べたと思う。ご飯を4杯おかわりして食べた。
びっくりドンキーというファミレスでバイトをしてから、飲食店での一連の流れを店員目線で見られるようになり、色々と勉強になった。知らない、というのは恥ずかしいことだ。店員になって初めて、客としての自分が見えるようになり、またこうやって、店員からしての店員が見られるようにもなった。例えば、ごちそうさん、とかそういう一言が店員にとっては嬉しいのだ、ということが今はよく分かる。店員と客という関係の前に、まず人と人という関係がそこにはある。実にいい経験となった。
何でもそうだが、人間、分かっているつもりでも、その場に立ってみなければ意外と分からないものである。逆に言えば、その場に立ってもいないのに分かっているつもりになることが、心の中に驕りを生む。分かり合うとは、分かっていないことを互いに認めあうことから始まるんじゃなかろうか。そこから、相手を受け入れていく心が生まれるのかもしれない。
色々なことを知りたい。色々な経験をして、様々なものを見、それを人に語らず、黙って人の話が聞けるようになりたい。ともすれば、自分は我が強く、生半可に何かを語り気味である。いかんよなあ。
いや、それにしてもうまかった、とんかつ。

259日目 近づく有馬

12月20日。
寮で、郵便物がなくなる事件が起きている。前からあったらしいが、愉快犯だろうか。ホワイトボードの名前を消し、郵便物を持っていかれたら、もう自分に郵便物があったのかさえ分からなくなる。やだな、そうゆうのは。
競馬の有馬記念が近づいてきて、競馬好きはソワソワして落ち着かない。何故か、バイト先にはそれぞれ競馬好きの人がいて、メイショウサムソンだ、いやドリームパスポートだ、と盛り上がっている。自分が買う目はもう決まっている。あとは、いつ買いに行くかである。買っといてあげようか、とも言われたが、なるべく自分で買いに行きたい。手元に馬券を握り締めて、競馬中継を見たいのだ。睡眠時間を削って、ウインズに行く。
職場のおっちゃんが、
「高沢くん、金稼ぎたいんだったら、ベーリング海でカニ釣り漁船をやりゃいいよ」
と言っていた。ベーリング海って、どこにあるんだろう。調べたら、シベリア・カムチャッカ半島とアラスカ・アリューシャン列島に囲まれた縁海、とあった。一体どこなんだろう。分からんちん。
親父に電話せなあかん。競艇、賞金王決定戦はさすがに買いに行けないので親父に頼む予定である。代わりに有馬を買っといてあげようか。

260日目 雨らしい有馬

有馬記念が行われる中山競馬場、当日は雨らしい。
1993年、トウカイテイオーが3度の骨折を乗り越え、奇跡の復活を果たした有馬記念。自分が競馬と出会うきっかけになったレースだ。その3年前、やはり有馬記念で奇跡の復活を果たしたオグリキャップ。17万人のオグリコールが場内に響き渡り、涙を流し感動する観衆があった。
「さあ、暮れの中山に夢を乗せて走る18頭のゲートインが今完了しました」
自分はTVの前で新聞紙を丸めて手に持ち、その時を待つ。
友達と新宿のアルタビジョンで見たスペシャルウィークとグラスワンダーの一騎打ち。首の上げ下げで、グラスワンダーが鼻差の勝利。ざわめきあう人混みの中で自分の体に鳥肌が立ち、いつまでもいつまでもおさまらなかった。
絶対勝つと信じて疑わなかったディープインパクト。一人、隣県の高崎競馬場まで出掛け、場内の観戦TVに見入った。あの怒声のような、ため息のようなウアァという観衆の息。無敗の三冠馬が、伏兵ハーツクライに敗れた瞬間だった。
毎年毎年、ドラマがある。それぞれの人にそれぞれの帰り道があるように、時代の中でそれぞれの喜びと憂いの記憶が、有馬記念というレースに結びつく。
2007年度、有馬記念まであと2日。

261日目 買う有馬

夜勤明けに、バイトが始まるまでの2時間を利用して、いざウインズへ。
104でウインズの電話番号を聞いて、何時から前売りをしているのか問い合わせると、9時からと言うので、今8時半、ラッキーっちゅって、電車で広島駅へ向かった。
駅から地下道を歩き、10分ほどすると、ウインズ広島に到着。
へっへ、買ってきましたぜ~、あの目を。
のち、バイト。ノン睡眠がクリスマス前の3連休と相まって、死亡遊戯。

262日目 そして有馬

バイトが終わり、急ぎ足で寮に戻ると、ちょうど有馬記念が終わったところだった。残念ながらリアルタイムでレースを観ることが出来なかった。映りの悪いTV画像には優勝馬がはっきりしない画で揺れており、アナウンサーの声だけが鮮明に聞こえてくる。
自分が有馬記念で買った馬券は、3連単3-1-4千円である。これは、自分の名前であるサトシの語呂合わせで、馬券も舟券もでかいレースはこれを必ず買うのだが、3番が誰で、1番が誰かなんてことは知らない。ただ、どんな本命だろうと大穴だろうと、この目を買い続けるのみである。
今回は、広島に来た時、自分の住むことになった寮の部屋番号が314だったので、「これは今年の暮れ、クルな」と思い、楽しみにしていたのだが、先日の隣の競馬好きな人の引越しで、その直感が揺らいでいた。
有馬記念の結果は1着3番マツリダゴッホ、2着7番ダイワスカーレット、3着4番ダイワメジャーであった。配当金は3連単3-7-4で80万円超。大穴である。
自分の持っている馬券は3-1-4。
ギャンブルでは、当たりかハズレか、それのみである。惜しい、なんて言えば、トーシロとバカにされるのだが、当たっていれば数百万円。この1と7の数字のズレは、やはり隣の人と一緒に運が引越してしまったからだろう。
残念だ。

263日目 で、競艇

競艇賞金王決定戦。それが今日である。前日に親父に電話で、3-1-4と2-1-4を買っといてくれ、と頼んでおいた。2-1-4、とは、自分の真下の部屋に住む競艇好きのおっちゃんが住む部屋の番号である。前々から買おうと思っていた。
先日、おっちゃんに会った時、おっちゃんは階段から落ちて怪我をしたらしく、指を包帯でグルグル巻きにし、眼帯をつけていた。
「階段から落ちたんよ」
と言って笑っていたが、自分はまたもや直感で、「こりゃあ、競艇もダメだな」と思い、競馬同様、投資額を落として臨んだ。おっちゃんが階段から落ちたのも、その時おっちゃんに会ったのも全くの偶然であるが、こういうことは大きく運を左右する。無論、おっちゃんのせいではない。おっちゃんには悪いが、運の流れには必ずこういうヒントがあるのだ。
思った通り、競艇もハズれた。

バイトに向かう途中で、正月の年賀状配りのバイトの子だろう、原付で先を行く局員の人に「このまま真っ直ぐ」と言われ、赤い自転車をこぐ様子を見かけた。そういえば、バイトの子はわざわざ年賀状を配るために地理を頭に叩きこまねばいけないのだから大変である。
「ご苦労さん、正月は世話になるね。よろしく頼むよ」
と言ってあげたくなったが、とうに歩きの自分の遥か先へと行ってしまった。
原付においていかれないよう、ヘーコラヘーコラしながら大きな荷台を後ろに乗せて走るその姿を見ていると、自分も頑張らなあかんなあ、と思う。

264日目 親父(1)

今日、福岡から親父が来ることになっていて、広島で会う。何故、福岡かというと、昨日の賞金王決定戦が大阪の住之江ではなく、福岡で行われていたからで、親父はそれを見に、福岡に行っていたのだ。
夜勤明けでそのまま広島駅に向かい、駅前の漫画喫茶で親父が来るまでの間、一眠りしようかと思っていたのだが、そのビルの一階がパチンコ屋であった。時刻は9時半。まだ、やってないだろうと思っていたら、やっていた。9時からである。ちょうどいい、あまり時間はないが、パチンコも締めてしまおうとやることに。この流れも悪くない。
店内には、ほとんど客がおらず、あまり出そうな雰囲気ではないが、朝一はどこもそんなものだと思い、台を探す。自分は以前から気になっていた新台に腰かけた。1万年と2千年前から愛してる~、とかCMでやっているやつである。で、これが出た。親父が来るまでの2時間、8千円ツッコんで、2万出た。+1万2千円。
はい、辞め。締め。もうこれで終わりである、今年は。あとは競輪グランプリの3-1-4を千円買っておしまい。これで年末は勝ちだ。数千円だが、勝ち逃げする。新年につなげよう。

親父とは、広島駅前の交差点で会った。赤信号を挟んで、笑っている親父の姿が見える。親父の第一声は
「よお、元気そうじゃねえか」
だった。
自分はまだパチンコが出ていたので、一旦パチンコ屋に戻って終わらせた。親父は福岡で買ってきた明太子を3箱、自分に渡して
「お前が世話になってる人にあげてくれ」
と言った。
後、昼飯を食べようということで近くのお好み焼き屋へ。ここで、お好み焼きとつまみと、瓶ビールで乾杯。旅に出る前から親父と二人で酒を飲みに行くことは何度もあったが、なんだか感慨深い。今の自分は妙にセンチメンタルなのだ。
親父から衝撃の一言が。
「今年は、あと競輪グランプリを買って、それがハズれたらもうギャンブルからは足を洗うんだ」
「えっ?ギャンブルやめんの?」
「そうだ。もう一切やめる」

265日目 親父(2)

どうやら、親父は今回の旅打ちを最後にギャンブルとはスッパリと縁を切るつもりらしい。
何故だろう。今年、還暦を迎えた親父は、還暦を境に何か色々なものを自分の中で区切ろうとしているようであった。
物心つく前から、親父には競艇場に連れていかれていた。初めは、あのボートの耳をつんざくようなエンジン音が嫌で堪らなく泣いていたりもしたが、何度も見ている内に、自分も予想をたてて舟券を買いたくなり、いつだったか、親父にこれを買ってくれと頼むと、親父はそれを100円買ってくれたことがあった。
レースが始まると、自分の買った舟が先頭を走っていく。胸がドキドキして、熱くなった。初めてのギャンブルは、この時だったかもしれない。ところが、先頭を行く自分の買った舟がコースを2周したところでコケた。コケた、というのはつまり転覆したということなのだけれど、この時の自分の心境を一言でいうなら

ガーン!!

である。
帰りの車の中で、ずっとショックを引きずる自分に親父は
「こういうことがあるんだよ」
と笑いながら言った。
ギャンブルは本当に面白い。こういうことがあるから面白いんだよ。と、今は自分も笑って言える。
自分にギャンブルを教えてくれたのは親父だった。パチンコ屋にも連れていかれたし、花札も教えてもらった。この旅の中で、自分が青森の競輪でヘタした時、
「お前、そんな買い方してるようじゃ、まだまだだな」
と電話をくれたのも親父だった。
その親父がギャンブルを辞める。
一体どうしたのか、気になったが、自分は敢えて聞かずにいた。いや、聞けなかった。聞いてしまうと、寂しくなりそうで。
親父は今回の福岡に、ある程度まとまった金を準備していたようだ。遠征なんてことも珍しいが、親父がギャンブルをするにしては、今まで自分が聞いたことのないような額で勝負してきたらしい。本気さが窺える。
そして、全部ハズした、と。
今まで、びっくりするような大穴を何度も取ってきた親父である。競輪が当たれば、競輪が当たれば、また親父と競艇に行けるのだ。親父の目は知っている。いつも親父が買う、あの目、3連単。どうか、来てくれと願う。
競輪グランプリは晦日、30日に行われる。

266日目 親父(3)

このブログを書くにあたって、一体自分はどこまで自分を晒せるだろう、という思いがある。
これまで書いてきた中身を自分はまだ通して読み返したことがないが、自分の中にある現実的な部分、デリケートな部分、真面目な部分を夢とか愛とか希望とか、簡単に語れるポジティブなもので包み込み、後回し、いや隠し隠し、ほとんど書いてこなかったような気がする。
この旅を続ける中で悩み続けた事、本当を言えばそれよりもずっと前、小学生の頃から本当にずっと悩んできたことがある。二十歳を過ぎて大学を中退し、実家に帰ってきてからは、より一層考えを巡らせるようになった。家族や友達、誰にも話したことがない。それは将来のことである。
自分の実家は会社を経営している。会社といっても、今は親父とおかんが二人でやっている小さな有限会社で、鉄工業の町工場のようなものだが、親父はその社長兼職人である。小さな頃から、自分は親父が働く姿をまのあたりにしてきた。
小学生の頃の自分の夢は、「家を継ぐこと」で、小学校の卒業アルバムにも、ちゃんとそう書かれている。
自分が小さい頃、家に親父の仕事仲間の人が来ては
「里詞くんは、将来何になるんだ?」
なんて聞かれて
「家を継ぐ!」
と元気に答えると、親父が横で
「いやいや、まだ分かんねえよ」
と、その仕事仲間の人に言うのだけど、その時の嬉しそうな顔。その顔を見るのが好きで、「家を継ぐ!」と答えた後は、いつも親父の顔を覗き込むようにして見上げていた。
しかし、少年の心はうつろいやすい。中学校に入った時の自分の夢は競馬のジョッキーであった。中学生になった頃の自分は、とにかくサラリーマンというものを嫌った。これは多くの人に心覚えがあるんじゃないかと思うが、この年頃の夢というのは、華やかなものばかりがもてはやされる。
例えば、今、自分の周りでは事務職を希望する人間はザラにいるだろうが、中学生の頃に、将来事務職をしたい、なんて人はそうそういない。サッカー選手とか歌手とか、いくら地味であっても、先生になりたいとか、求める職業にある一定以上の華やかさがある。
サラリーマン、というのが、当時の自分には個性を失った社会の歯車みたいなものの気がして、嫌だったのだ。そして、そんな思いがそっくりそのまま家業にかぶった。
親父は毎日毎日、自宅にある工場で汗を流して働いていた。それが、段々と自分の目には映らなくなり、地味で魅力のないものとして、頭の片隅に追いやられていき、その代わりに台頭したのが、競馬の騎手、という夢だった。

267日目 親父(4)

結局、その夢が叶うことはなく、その後も夢をすりかえては潰し、自分はいつの間にか成人して、いつの間にか24になり、まるでフヌケ太郎なのだけど、あの頃から今に至るまで、頭の片隅にあった「家業を継ぐ」という思いが片隅から消えることはなかった。
どんなに強く夢を追う時も心の隅っこでポツンと体育座りをしているような有り様で、年を重ねるにつれ、次第に体育座りからあぐらになって、しまいには一升瓶を持って立て膝をしては、自分の中でその存在を主張するようになってきていた。
大学を休学後、実家に戻ってきてからは、親父に
「俺はもう仕事を辞めるけど、お前がやるんだったら機械だけは残しておく。仕事を教えてやるから、やってみろ」
と、よく言われた。その度に自分は
「いや、やらん」
と断り続けてきた。
理由は多々あるが、一番大きなものを挙げろ、と言われたら、きっと自分に自信がなかったからだ。自分は他にまだやりたいことがあったし、親父の仕事を今まで見てきて、それを自分がやれるとは思わなかった。一度裏切った夢に、今さら飛びつくなんて、そんな甘さも嫌だった。
旅の途中、秋田で兄貴と再会して話したことは、兄弟で誰が家に入るのか、ということだった。仕事を継ぐ継がないは関係なしに、誰が家に入るのか。家族といえども人にはそれぞれ思いがあるわけで、兄貴も姉貴もやりたいことがあり、家に入らないのだったら自分が入るつもりでいた。親の意見もある。心の中では、やはり兄貴が家に入るのがベストだろう、とも考えていた。そして、もし自分が家に入る時が来るのならば家業を継いでみようか、と旅をしているうちに思うようになってきた。
旅の中で様々な人に出会うことによって、自分の気持ちに変化が起きた。その地その場所に、それぞれの日々を一生懸命に生きている人がいて、陽が当たろうが当たるまいが、今日を笑って暮らす人達と触れ合ううちに、きっと自分は素直な気持ちになれたのだと思う。
ただ、しかし、自分には今、やりたいことがある。この旅を周りに反対されつつ、友達のドタキャンにあい、一人になっても決行したのは、そのスタートラインに立つためで、家業を継ぐのなら、これは諦めねばならないかもしれない。旅をしながらも自分の心は揺れていた。何だろう、うまく言えないのだけど、自分は、自分のやりたい事と家業に挟まれて、苦しかったのだ。
自分が本当にやりたいものは何だ?
今さら家業を継ぐなんて逃げているんじゃないか俺は?
けれど、親父が今までやってきたことを自分もやってみたい。
俺はどうすればいいのだろう?

268日目 親父(5)

広島で親父と再会して、お好み焼きを食べた後、二人で広島城に向かった。路面電車に乗って、地下道を歩き、自分は夜勤明けの眠たい目をこすりながら、昼下がりの珍しく暖かい陽光の中を親父と肩を並べて歩いた。親父はだいぶ小さくなったような気がした。
広島城は今は博物館のようになっており、城内に飾られた刀や鎧を親父と見て回り、
「この刀は名刀だ」
「いや、こっちの方が切れそうだ」
なんて話しながら、天守閣まで続く階段を上っていった。
そこからは広島の街が一望できた。遠くの方、広島市民球場の上に、原爆ドームの丸い屋根がポッコリ浮かんでいるのが見える。
その後、
「お前の部屋が見てみたい」
と言う親父を連れて、寮の自室へ。
親父は今晩、自分の部屋に泊まるつもりでいたらしいが、自分が
「いやいや、無理無理。狭くて、きったねえんだから」
と案内した自分の部屋を見て、
「きったねえなあ。いいや、今日はどっかビジネスホテルに泊まるから」
と言っていた。自分がこの前買ったギターを見て、
「エレキギターってのは重いんだな」
と言っていた。
夜、タクシーでまた街まで繰り出した自分と親父は、流川という歓楽街の居酒屋で酒を飲んだ。
酒を飲んでいるうちに、ついに自分は耐えきれぬ睡魔に襲われ眠り始め、退店。街中でビジネスホテルを見つけた親父は、今晩そこに泊まることに決め、自分に帰りのタクシー代を握らせて
「じゃあな」
とホテルの中に消えていった。
自分はなんだか、まだ小腹が空いていたので、近くのラーメン屋でラーメンを食べ、店の前をひっきりなしに行くタクシーを1台止めて、その場を後にした。

親父が言っていた。
「お兄ちゃんがな、家で仕事することになったんだ」
兄貴は元々、地元の会社で製図の仕事をしていたが、家で仕事を始めることになったらしい。
自分はつい本音を口から漏らした。
「・・よかった。これで俺は自由だ」

「なんだ、自由って?」
「いや、これで俺は自由に好きなことが出来るなと思って」
「・・・」
「一度、放浪癖のついた人間はまたいつか放浪するから。お前はお前の好きなように生きりゃいいよ」
「・・うん」

これまで引きずってきた長い長い悩みから解放された瞬間だった。誰にも話したことがない。中学を卒業して、実家を飛び出し、好き勝手に自分のやりたいことをやる度に、心の中でいつも、小学生の頃に見ていた親父のあの嬉しそうな顔を裏切る思いがしていた。
誰にも話せなかった。家業を「俺、やるよ」と言えば、親父はどれだけ喜んだろう。でも、本当にやりたい事が出来なくなる。本当にやりたいことをやれば、家業は継げない。心のどこかに親父に対する申し訳なさが生まれる。体は一つしかない。どちらも出来ない。よかった。兄貴がやってくれるのだ。これで自分は安心して、やりたいことが出来る。一本に絞れる。
誰にも話したことがない。恥ずかしかった。そんなことで悩んでいる自分が。
ギャンブルを辞めようとしている親父は、多分同時に仕事も引退しようとしているのだろう。
実家にいる間、親父と仕事をしていて、本当に色々なことを教わったし、色々な現場へ連れて行ってもらった。時には、日本を飛び越えて海外にまで行った。親父は職人だ。親父にしか出来ない仕事があり、だから親父は呼ばれれば日本中を、世界を現場にしていた。心から尊敬する。
そして自分は家を継がない。やりたいことをやるのだ。親父の魂だけ継ごう。俺は俺の土俵で、日本中から、世界から求められる人間になってやる。その時はまた、二人でゆっくり酒を飲みたい。
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プロフィール

高沢 里詞

Author:高沢 里詞
埼玉県行田市出身
S57・12・7生
26歳♂
B型
パンクロッカー・詩人
行田秘湯の会会長
S・O’S(スーパーアウトドアーズ)部長
行田不毛の会会長
行田死語の会会長

注※どの会も新規会員募集は行っておりませんが、もしも会員になりたい方がいましたら密談でどうぞ。

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