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作家宣言

1、序文
旅をやめます。
本気で作家になりたいので旅をやめようと思います。この旅に自分が求めていたものは何か。それは作家への道を切り拓くということでした。ボンヤリしながらも、始まりから今までただそれだけでした。
本気で作家になるために、何故旅をやめる必要があるかというと、率直にゴールまでにかかる時間がもったいないと感じたからです。この旅に出た訳は、当時、作家になるためのアプローチが見えていなかった自分が、旅に出ることで何か手掛かりを掴めるかもしれないと思ったからなのですが、それも今考えてみると、本気で作家になるための覚悟から逃げ出すためだったように思います。
一つのことに命をかける。それは考えれば考えるほど地味なもので、そういう地道さに欠けていた自分はなんとなく旅に憧れを抱いていた自分自身と重ね、執行猶予同然に、無理矢理この旅を作家になるための旅と位置づけて出発したのでした。
そうして今、旅の中でようやく自分は、地道な努力を積む覚悟が出来たのです。そして、それは旅をやめてでもすぐ始めるべきだと気づいた。だから僕は旅をやめます。

2、自分にとっての旅
2007年4月。翌日、北海道に発つ自分は、実家で家族と食事をしていました。
食事を終え、そのまま食卓の椅子に寝転んだ自分をばあさんが見かねて叱りました。
「そんなとこに寝るんじゃないよ」
それはうちの家庭にとってごく自然な光景で、でもそんな言葉がうるさかった自分は、ばあさんの言葉を遮って、そのまま寝たフリをしていたのです。
何回、同じことを言われたでしょう。うちの祖母は痴呆症で、同じことを何回も言います。
わかったよ、わかったよ、と繰り返しながらも、立ち上がろうとしない僕のケツをばあさんが手のひらで叩いた時、急に親父がでかい声で怒鳴りました。
「もういいから、寝かせてやれよ!」
僕はずっと寝たフリをしていました。よもや、親父がそんなことを言い出すとは予想だにせず、対処に困ったのです。ばあさんも親父の方をびっくりした顔で見ながら、だってさあなどとブツブツ言い、次第に黙ってしまいました。
予想外の展開に横になったままうっすらと目を開けた自分は、親父とばあさんを交互に見ていたのですが、親父はもう一度ばあさんに
「寝たいんだから寝かせてやれよ」
と、今度は怒鳴るわけでもなくそう言いました。よく見ると、親父は泣いていました。
翌日、僕はおかんの車で駅まで送ってもらい、北海道へと出発しました。出発の吹上駅の雨模様が今でも記憶に残っています。
あれから僕はどれくらい歩いたのでしょうか。
2年と半年。様々な町を抜けてきました。今でも日本海の海岸沿いを走る国道へ行けば、その時のことを思い出すでしょう。大雨の日がありました、快晴の日がありました。
ある薄ら曇りの日に、人気のない漁村を歩いていた時です。家なんか大してない、パラパラと木造平屋の古い漁具置場のような小屋が並ぶ海沿いの道で、向こう側からリヤカーを引いてくるおばあさんがありました。
僕はおばあさんに、「こんにちは」と挨拶しました。おばあさんはその場にリヤカーを置くと、僕の顔を見上げ、にっこりと笑って「こんにちは、どこから来たんかね?」と言いました。
「稚内から来ました」
「何で来たんかね?」
「歩きです」
「へー!歩きでねえ」
そんな旅の話をしながら、別れ際、おばあさんが僕にこう言いました。
「おっかねえ人がいるから気をつけなさいよ。刺されっちゃうよ」
自分はおばあさんの心配に感謝して、ありがとうとお礼を言い、また歩き出したのですが、その時のことが何か悲しくずっと頭に残っていました。
自分はこの旅の中で、おっかない人に出会ったことがありません。正直言うと、それは僕にとっても意外な発見でした。確かに変な人は時々見かけました。ずっと何か訳の分らぬことを叫びながら往来を行く人や、人の話を聞かないで自分のことばかり、ダムが放水するかのごとく喋り続ける人・・・。
けれど今思えば、そんな変わった人達こそ、僕に話しかけてきてくれる機会が多かったような気もします。普通、人はあまり僕に話しかけてこないものでした。でかいリュックを横に置いて、コンビニで買ったおにぎりを店先で食べながらも、人はチラッと脇目を振るだけで、すぐに店の中へと入っていきました。そうして買ってきたものを手にぶら下げては、そのまま車に乗り去っていく。時々話しかけてくる人は、話をしてみれば以前に自分も旅をしていたという人がほとんどでした。いつか、自転車に乗った高校生がやってきて、僕をチラリと見て、店の中に入って行ったかと思うと、袋におにぎり2個とお茶を持って「これ食べてください」と僕にくれたことがありましたが、僕はこの時の感動をよく覚えています。
鹿児島で地引き網の漁に連れていってもらったこともありました。海の真ん中で大勢の漁師と海に仕掛けた網を引きながら、しぶきを上げる魚たちの中にプカプカ浮かぶ詰め替えシャンプーの空き袋に僕はまた地元にいるような窮屈さを感じました。その時、僕を数日間家に泊めてくれた漁師のおっちゃんの仲間が、おっちゃんと僕にしかめっ面で
「こんなどこの馬の骨とも知れねえ奴に善くして何の得になるんだ」と言いました。
沢山の方々に優しくされましたが、リヤカーを引くおばあさんのセリフにしろ、コンビニでさっと買い物を済ませて帰る人にしろ、シャンプーの空き袋にしろ、おっちゃんの仲間の言葉にしろ、そういうことの繰り返しが僕の旅により多く突きつけられた現実でもあったのです。
作家になりたいと願いながら、この旅の中で僕はいくつかのことを試みてきました。それはブログを初め、クルミ長者、写真集、詩の創作発表、マスメディアを通じての旅の宣伝、名刺、考えつく限りのことを行動に移してきました。しかし、それもやはり自分の作品あってこそで、ブログにしろ、詩にしろ、自分には作家として作品と呼べるものは大してなく、道楽のようなものだったのです。そしてそれを道楽ではなく、作家になるための修行だと自分に言い聞かせることで、ここまで歩いてきたのでした。事実、僕の書いてきたものに一貫したコンセプトはなく、途中途中で好き勝手に形を変えています。
現実として、これが自分にとっての旅でした。

3、作家としてのテーマ
僕の旅はここ宮崎にて終わりとなるわけですが、今後しばらくは作家になるための勉強となるでしょう。これからは今まで自分になかったコンセプトを考え直し、作家としてどういうテーマで書いていくかということがまず問題になるのですが、実は一年前、旅中にこの宮崎を訪れた時、僕は先生からそのテーマを頂いておりました。
それは「反抗」という言葉なのですが、正直自分にはまだその言葉の真意がつかみきれず、今も何度も推考しています。(自分にとっての旅)にも書いたように、旅中では様々な方々から優しくして頂くと同時に、日本という国が抱える問題点もいくつか見えてきました。
例えば、前述の漁村のおばあさんの言葉は、おばあさんの経験によるものというより、テレビや新聞からの影響が強いように思われます。実際に2年半を日本各地で過ごす中で、僕は一度たりともナイフを突きつけられたことはなく、おっかない人に刺されるという言葉に僕は疑念を払拭できません。このような言葉は、日々、日本各地で起こっているいくつかの出来事を集積したマスメディアのニュースに過剰反応した結果だと思うのです。こういった情報の一元化は便利であると共に、恐ろしいものです。
問題はそういう情報に身を任せ、隠れた真実を見ようとしない、見れない我々の目にあり、そういうことへの慣れが無気力・無関心・無感動な人間をつくっていると言えるのではないでしょうか。そして、そんなことが今日本のどんな田舎にも当たり前のこととして存在しているのです。
憚るのを恐れず言えば、反抗とは社会風刺、誤った社会に対する反抗ということになるのでしょう。それを表現する力をつけていく。それが今後、僕の掲げる作家としてのテーマです。

4、お詫びと決意
旅の終盤、どんどんと終わりの遠のく中でなんとなく答えが遠ざかっていく感じに、焦りが生まれ始めていました。正直、作家を目指す上で旅から得られるものは少なくなりつつあり、最近に至っては、ただ自分の中の身のない責任感だけで旅を続けていたのだと思います。この旅は決して無駄なものではありませんでした。しかし、今はもう日本を歩く一日8時間より、本を読み文を書く一日8時間の方が大切なのだということに気づいた、ただそれだけなのです。
最後になりますが、様々な形でご迷惑をおかけする皆様に心よりお詫び申し上げます。
僕はこの旅をゴールすると言い切った。しかしそれをゴールせず、また新たな旅に出ることをお許し下さい。こんなことは全て僕のワガママですが、フィールドが変わっただけで僕の旅は終わりません。このブログも閉鎖せず、このまま続けます。そしていつか、作家として日本一周を歩く本当のテーマが自分の中に生まれた時、日本一周の旅の続きをまた歩いてみようと思います。
地元に帰ったら、僕は図書館の近くに部屋を借りて、毎日作品を作っていきます。いつか僕の作品が世の中に出て、それが皆様のお目にかかることが出来ましたら、こんな嬉しいこともありません。
皆様、徒歩で日本一周の旅への応援、本当にありがとうございました。

平成21年10月8日 宮崎にて 高沢 里詞
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theme : 日本一周
genre : 旅行

近況報告2

というわけで、突然ですが旅をやめることにしました。
それに伴い、今まで旅を応援し、信頼し、協力してくださっていた皆様には大変申し訳なく思います。この決断をするのに、そういう点でずっと心に引っかかるものがありました。

正直、怖いです。旅をやめて真剣に作家を目指すということが、油断のならぬ人生の幕開けであり、完璧にこなせるか。こなそうと思っていても、どこかでコケるんじゃないか。すっごく不安です。
これまでは旅があったから、「まだ先だ」とどこかでノホホンとしていましたが、これを切りました。切るという決断は早かったですが、それまでに日々、無意識に積み上げてきた苦悩がありました。

仕事が取れるか、暮らしていけるか、問題は往々ですが、とにもかくにもこの道しか自分にはなく、遅かれ早かれ、ぶつかる問題です。26で下した決断は、決して早いものではないと思っています。
例えば、自分の地元の隣町に熊谷という行田より毛の生えた程度に栄えた町がありますが、ここに青山七恵さんという作家が住んでおられます。彼女は僕と同い年ながら、2007年に「ひとり日和」という作品で芥川賞を受賞しました。これは当時、旅に出る直前の僕にとって衝撃的なニュースでしたが、その作品を実際に読んでみて、自分はほとほと力の差を感じ、悔しさが込み上げてきました。
それから彼女は今年に入って川端康成文学賞も受賞したようですが、同い年ですでにこれだけの差が開いてしまっているのです。
そんな中、遅ればせながらしたこの決断には、しっかりと立ち上がり、開いていく差に食い下がっていこう、そのために一時も無駄にしたくないという脱ノホホンの決意が込められています。勝つか負けるかではなく、胸を張って渡り合える程度の力をつけていこうと思うのです。

重複しますが、そのためにご迷惑をおかけした皆様に心よりお詫び申し上げます。今、旅をやめるということは自分にとってのステップアップであり、落胆してほしくないのです。このブログに励まされていたという方がいたならば、自分の今後はもっと人を励ませるものにしていきますし、楽しみにしてくれていた方には、もっと楽しいものをお届けするつもりです。
ただ、飽くまで旅ブログとしてこれをご覧下さっていた方には、もうしばらく旅中継をお届けすることは出来ません。本当に申し訳ありません。
そして、この旅に仕事として関与してくださっていた各マスメディアの皆さま、大変申し訳ありません。僕の中途半端な想いで、結果的に沢山の嘘をついてしまいました。ごめんなさい。

今は、宮崎にてスポレクという太極拳のイベントの仕事を引き続き、やらせて頂いております。10月17日、18日に宮崎県日向市文化センターという場所で開催されますので、お近くの方は是非ご来場ください。お待ちしております。

theme : 本日の日記
genre : 日記

青雲のこと

青雲の今後について書いておかなければいけない。

ここ宮崎に来るまで、正直、旅をやめるつもりなんてこれっぽっちもなかった。作家宣言にも書いたように自分は、やっていることが支離滅裂であった。この決断を必死で肯定したい自分がいるのは不思議だけど、無理もないと思う。だって、まだ結果が出ていないんだもの。
長岡卓と青雲を結成して4か月余り。青雲は、宮崎で解散となる。自分は地元に帰るが、卓ちゃんは宮崎で生きる決断をした。宮崎で暮らし、先生のもとで勉強を教わるようだが、これ以上は僕の語る領域ではないので控えておこうと思う。

さて、今回のことを自分は前もって親に連絡した。
その時、おかんは「なんでやめるの?ここまで来たんだからゴールした方がいいんじゃないんかい」と言っていた。
親父は「お前がそう決めたのなら、それでいいんじゃないか」と言っていた。
知人の皆さんからも「なんでやめるの?」「まあ、いいんじゃない」とお言葉を頂いたが、そんな中、友人N氏がこんなことを言っていた。
「俺は、初めからそうした方がいいと思ってたよ。日本一周しても作家になれるわけじゃないし、その分勉強してた方がいいしね。まあ、無駄じゃないけど、どっちが早いかって言ったら、勉強してる方だよね」
あまりに的確なので、「的確だなあ、おい」と返したが、旅に出なければそんなことにも気づけなかっただろうから、やはりこの旅は必要なステップだったのだろう。
旅に出た自分を肯定したい気持ちと否定したい気持ちが渦を巻いている。
旅自体を否定する気はない。旅はいいと思う。ただ自分は目的が曖昧だったのだ。

皆様から頂いたコメントに感謝致します。同じ木に咲いた桜の花は風に吹かれて散り散りとなり、青雲は別々に生きることになりました。これからの二人をどうぞよろしくお願い致します。

theme : 本日の日記
genre : 日記

近況報告3

遅くなりましたが、おかげさまで無事イベントを終了することができました。
今回、宮崎で自分が手伝わせて頂いたイベントというのは太極拳のイベントだったのですが、正直、太極拳というものを自分はよく知らず、それ自体を色々と学びながらの活動でしたが、自分の中で太極拳に対するイメージはがらっと変わりました。
それまで自分の中にあった太極拳のイメージといったら、中国の天安門広場でおっちゃんおばちゃんがガーやってる、ガーやってるようなイメージしかなかったんですが、まず、太極拳って体操かと思っていたのが、格闘技だったんですね。
というか、空手だったり、合気道だったりは太極拳から派生したものらしく、空手なんかは沖縄が源流だと言われていますが、元は唐手であり、中国から沖縄に伝わったものらしい、と。太極拳と少林拳もそもそも同じで、それこそ漫画に出てくるような3年殺しや秘功突きみたいな技があるということを知りました。
とは言いつつも、今日本で行われている太極拳のほとんどは、この体操的な太極拳が主であり、ネックなのは太極拳が高齢者のスポーツというようなイメージが強いことで、そういう意味で今回のイベントに来られた一般の皆様には、太極拳に対してまた違った見方をして頂けたかと思います。そういう意味で、今回のイベントは大いに実りあるものでした。
私見ですが、きっとこれから太極拳は静かなブームになるでしょう。

最近まで、そのイベントのために名古屋から来られたヴァイオリニストとリコーダー奏者の方と暮らしていたのですが、面白い日々でした。イベント活動の一環として、お世話になった県内の幼稚園、小、中学校に赴き、音楽演奏や自分の詩の朗読をさせて頂いたりもしました。

ところで皆さんに一つお知らせがあるのですが、自分の今後の活動をしばらく宮崎にて行うことにしました。一旦は地元に帰って活動を始めようと思っていたのですが、やはり先生の下で、もう少し研鑽を積ませて頂こうと思った次第です。というのはですね、自分はどうも先生という人間に魅かれ、離れられそうにないのです。ちょっと異常なようで、こんなことをストレートに書いても理解して頂けるか分からないのですが、きっと、人それぞれの人生の中で「この人だ!」と思う人に出会えたら、見逃してはいけないんですね。色々な柵はありますが、出来るだけそばに居させて頂いて勉強するというのがベストな選択だと自分は思っています。
先生にも、その方がいいと思うと言って頂き、御配慮で今住んでいる部屋をそのまま使わせて頂けることになりました。
とりあえず、これからはそこで卓ちゃんと一緒に暮らすのですが、実はもう一人一緒に暮らす仲間がいまして、彼はイラストレーターをしています。二十歳の青年なのですが、彼の絵と僕の詩で作品を作ってみたらいいんじゃないかという先生の提案で、今、本の出版やら、個展といった活動を目標に励んでいます。

現在、イベントの様子を記録したDVDの編集作業に入っており、これらの仕事が終わり次第、このブログも一新して書いていこうと思っていますので、どうぞよろしくお願い致します。

theme : 本日の日記
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プロフィール

高沢 里詞

Author:高沢 里詞
埼玉県行田市出身
S57・12・7生
26歳♂
B型
パンクロッカー・詩人
行田秘湯の会会長
S・O’S(スーパーアウトドアーズ)部長
行田不毛の会会長
行田死語の会会長

注※どの会も新規会員募集は行っておりませんが、もしも会員になりたい方がいましたら密談でどうぞ。

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